キミと一緒に、旅に出よ。
プロローグ2
家を追い出されるのはいつも唐突だ。
昨日に引き続き今日も野宿することになった僕は、やっぱりろくに準備もできないまま、家からつまみ出された。
頼みの幼馴染みの家は相変わらず電気が消えたまま。
もしかしたら家族旅行にでも行っているのかもしれない。
「いつ帰ってくるんだろう。」
独白は、闇夜に溶け込んで消えてゆく。
誰からも答えは返ってこない。
もし返ってきたら、それはそれで怖い。
寝床を探す僕は、昨日晩寝たあの木の所にたどり着く。
散々森の中をさまよってみたけど、一番寝易そうなのはそこしかなかったからだ。
けれど困ったことに、木のくぼみには先着が居た。
金色の体毛を持つ一匹の狐だ。
立派な九本の尾を生やした狐はキュウコン。
トキワの森に野生のキュウコンが居るのは、非常に珍しい。
野生のポケモンではないのかもしれない。
レーナーが近くに居るのだろうかと思って辺りを見ても、それらしき姿は見当たらない。
キュウコンはやけにぐったりとして幹に寄りかかっていた。
近寄ってライトで全体を照らし出すと―――
「血…!?」
艶やかな体毛の一部が赤黒く濁っている。
出血はだいぶ収まっているみたいだけど、キュウコンは息も絶え絶えといった様子だ。
運がいい事に、さっき寝床を探して森をさまよっている間にポケモン用の傷薬を拾っていたから、封を開けて血が出ている辺りに薬を塗りつける。
最初は触れられて嫌そうにしていたキュウコンだけど、時間が経つにつれて落ち着いてきたのか、少し楽になったようだった。
頭をもたげて僕をじっと見つめてくる瞳は、暗闇でもリンと輝く緋色。
つい最近こんな色を見た気がする。
けれどそれほど重要なことでは無い気がしたから、無理に記憶を呼び覚まそうとはしなかった。
「別の寝床を探そうか…。」
まだ木の幹には何とか小さい人が一人入れるくらいのスペースがあったけど、怪我人(ポケモン)に無理をさせては悪い。
そもそも僕はこのキュウコンの飼い主じゃない。
怪我をして気がたっている時に見知らぬ人間と一緒に居るのは苦痛のはずだ。
「じゃあね、無理しちゃダメだよ。」
ふさふさの体毛を一撫でして立ち上がろうとする。
けれどキュウコンは服の袖口に柔らかく噛み付いて、僕を立ちあがらせない。
引き止めているのだろうか。
キュウコンはまだ癒えきらない体をなんとか起こすと、木からずるずる這い出てくる。
そして僕と木を、あの綺麗な緋色の瞳で交互に見た。
「…ここで寝ろって?」
キュウコンは無言だ。
けれども、緋色の瞳が「そうだ。」と告げている気がした。
なんて謙虚なんだろう。
僕はお言葉に甘えることにした。木の幹の中に座り込む。
傍らにはまだ少しスペースが開いているから、去ろうとするキュウコンを手招きした。
「入りなよ。一緒に寝よう。」
キュウコンは振り向いて、じーっと僕を見つめてくる。
九本の尻尾がゆらゆらと揺れているのは、警戒しているからか、それとも喜んでいるからか。
暫くして、キュウコンは静かに僕の隣にやってきた。
そしてコテンと寄りかかってきたと思ったら、小さな寝息が聞こえ始める。
ポケモンが寝ている姿を間近で見るのは初めてのことだったから、寝息を立てているのがなんだか不思議だった。
彼らだって人間と同じ生き物だということを改めて認識しながら、僕も瞳を閉じる。
(そういえば、サイトウさんが撃ったっていうのは、まさかこのキュウコンなんじゃ…。)
朝方の老夫婦の会話を思い出す。
サイトウさんはトキワの森に普段現れないキュウコンを見て驚き、慌てて引き金を引いたのだろう。
僕には傷口を見ただけでは銃で撃たれたかどうか判断できないけど、きっとそうだ。
昨日の青年といい、キュウコンといい、この森は変な出来事が絶えない。
よくもまあそんな所で暢気に野宿できるなと自分で思いながらも、僕は隣で眠るキュウコンの体温の心地よさのお陰で、いつの間にか眠りについていた。
――――すなまい、この礼は、いつか必ず…。
白い雲の布団に囲まれて眠る、夢の中。
誰かに優しく髪を梳かされながら、そう言われた気がした。
翌朝。
いつもより早く目覚めた僕の傍らにキュウコンは居た。
てっきり、もうマスターの所に帰るかと思っていたけれど、一晩中一緒に居てくれたらしい。
狐だからツンとしたイメージがあったけど、案外優しい性格なようだ。
昨日晩、夕食を食べる暇もなく追い出されたお陰で、すっかりお腹が減っている。
毎度のごとく、父さんが仕事に出かけるのを影から見送って家に帰った。
でも今日はいつもと違う。
一人じゃなくて、キュウコンが一緒だ。
「何食べるんだろう、肉食かな。」
僕の家にはポケモンがいないから、ポケモンフードは置いていない。
父さんが比類なきポケモン嫌いなのが原因だ。
いまどきポケモンを飼っていない家なんて、僕の家くらいじゃないかな。
冷蔵庫の中を漁ると、ソーセージと焼き魚があった。
皿に入れてキュウコンの前におくと、安全を確かめて匂いをかいだ後、上品に食べ始める。
その間に僕は風呂に向かった。
湯船にお湯は張っていないから、シャワーだけで済ます。
脱衣所で体を拭いていると、突然―――
「何でポケモンがいるんだ!?」
父さんの怒鳴り声が聞こえてきた。
慌ててダイニングに駆けつける。
仕事に出かけたはずなのに、どういうわけだか父さんが居る。
酷く憤慨していて、今にも手にした包丁をキュウコンに突き刺しそうだ。
「と、父さんっ!!!!止めてよ!!!」
「…ああ?なるほど、お前が連れてきたのか。アレだけポケモンは家に上げるなといっただろうが!!!!!!!!」
何かが視界に飛び込んでくる。
気付いたときには、額に鈍い衝撃が走っていた。
食卓の上に置いてある食塩の瓶を投げつけられたんだ。
フローリングに白い粒が散らばる。まったく、片づけが面倒だから止めて欲しい。
だけど、飛んできたのが包丁じゃないことに少しだけ感謝する。
相変わらず握り締めているから、今にも刺されそうなことに変わりはないけれども。
「ごめんなさい。」
こういうときは素直に謝るしかない。
だけど謝っただけじゃこの人の怒りが収まらないのは百も承知。
気が済むまで殴ってくるだろう。
この隙にキュウコンが逃げてくれればいいんだけど…。
キュウコンは、その緋色の眼でじっと僕と父さんのやり取りを見ている。
「今のうちに逃げて」という思いを込めて、見返した。
きっとこのキュウコンは賢いから、伝わったはずだ。
さて、いつも通り殴られようか。
けれども今日の父さんは普段と一味違った。
「何だその反抗的な目は…そんなに俺が嫌か?あ?だったらお前が俺を見なくてすむ様にしてやる!!!」
銀色の閃光が、眼前にひらめく。
それは一番恐れていた包丁だった。
今まで数え切れないほど傷つけられたけど、決して刃物を振りかざされたことはなかったのに。
まるでスローモーションのように、一こま一こまがゆっくりと流れる世界。
刃の切っ先が、眼球に、
「っ―――――」
瞬間的に瞼を閉じる。
焼け付くような痛みが―――いつまでたっても襲ってこない。
「………?」
そっと瞼を開く。
外の世界が見えた。
大丈夫、まだ目は無事だ。
外れたのだろうか。
ちゃんと機能している目が捕らえたのは、大一大万大吉の黒い文字。
白い背中に達筆な筆文字で書かれたそれが、脳にくっきりと刻み込まれる。
「俺を殴るだけなら黙っておこうと思ったが、コレを傷つけるとなると話は別だ。」
高すぎず、低すぎない、心地よい声。
聞き覚えのあるそれに、はっとする。
先日トキワの森で出合ったあの青年と同じ声だ。
「まさかこんな輩が父親だとは…にわかに信じがたいな。」
一体何処から現れたのか、僕と父さんの間には、あの青年が立っていた。
背中しか見えないからよく分からないけど、彼の足元には血溜まりが出来ている。
もしかして、僕を庇って刺されてしまったのだろうか。
「ひいいいっ!!!」
いきなり父さんが悲鳴をあげる。
血に濡れた包丁がゴトリと床に突き刺さった。
父さんは青年の足元に転がると、苦しげに四肢をばたばたさせてもがき始める。
「助けてくれっ!助けてくれええ!!!」
一体何が起きたのだろう。
まるで錯乱したように助けを求めている。
「父、さん…?」
こんな父さん初めてみた。
駆け寄る。手を伸ばしても、叩き落とされる。
「熱い…!熱い!!焼け死ぬ!!!」
炎なんて何処にも無いのに。
怒りすぎて、脳の血管が切れてしまったのだろうか。
「無様だな…。」
はき捨てるように青年が言った。
その緋色の瞳は、憎いものを見るかのように、冷酷な輝きを放っている。
青年が口元を隠している扇をパチンと閉じると、途端に父さんは静かになった。
暫く虚ろな瞳で虚空を見上げていたけれど、正気に返ると
「今すぐ荷物をまとめて出て行け!二度とこの家に戻ってくるな!!」
もう一度、床に転がっていた塩の瓶を投げつけられる。
当たらなかったけれど、僕の胸を酷く傷つけた。
父さんは乱れたスーツを綺麗に整えて、逃げるように家を出て行ってしまった。
残された僕は自分の部屋に行って、旅に必要なものを鞄に詰込む。
父さんは本気だった。僕はもう二度とこの家に戻ってはいけない。
サバイバルナイフ、下着が3着、お金と寝袋…あとは…。
野宿なら慣れているけれど、旅となると話は別だ。
一体何が必要なのかよく分からない。
とりあえず適当に鞄に押し込んで、ダイニングに戻る。
青年は、まだそこに居た。
キュウコンはいつの間にか居なくなっている。
もしかして、僕を助けるためにこの人を呼んで来てくれたのだろうか。
「あの、さっきはありがとう。」
「礼など不要だ。これからどうする。」
「言われたとおり、家を出るよ。」
「そうか。」
短い会話が終る。
僕はふと母さんのことが気になって、母さんの部屋に行った。
ドアを開ける。
母さんはまだベッドの中で眠っていた。
テーブルの上には新しい食事が置いてあって、少しだけ減っている。
大丈夫、父さんはちゃんと面倒を見ている。
この様子なら、僕が居なくなっても大丈夫かもしれない。
父さんが出張のときはどうなるか心配だけど、母さんも完全に寝たきりなわけではない。
精神は不安定だけど、自力でトイレに行ったり食事をすることは出来るから、何とかなるだろう。
僕が居なくなったことで母さんに暴力の手が伸びないか心配だったけど…今の僕にはもうどうすることも出来なかった。
とても無理なことだったけど、父さんを信じるしかない。
「じゃあね、母さん。」
手を握る。
細い指。もう、殆ど骨と皮の状態。
弱弱しい力だったけど、母さんは手を握り返してくれる。
「いってらっしゃい…。」
薬が効いているはずだから、寝ているんだろうけど。
うわ言のように呟く母さんは微笑んでいて、僕は目頭が熱くなるのを感じた。
ひとしきり母さんの胸を借りて泣いた後、僕はまとめた荷物を持って家を出る。
少し歩いて、振り返る。
19年過ごした家。いろんな思い出が詰まった家。
今日からはもう、我が家ではなくなる家。
不思議と悲しくはなかった。常々家を出たいと思っていたから。
けれど、こんな形で家を出ることになるとは思っていなくて、焦りと不安が押し寄せてくる。
これから僕は、どうやって生きていけばいいのだろう。
戸惑う僕を、あの青年がじっと見つめていた。